2006年12月05日

武士の一分の世界観について

昨日は"武士の一分"の全体的な感想を投稿しましたが、本日は私が感じたこの映画の世界観について語ってみようと思いますexclamation×2
この映画は、まさに武士の世界の話。
武士の価値観を一番強く感じ、同時にその"猛々しさ""儚さ"を感じ、なぜか物悲しい気持ちになりました。
これから映画をご覧になる方もいらっしゃると思うので、詳細については述べませんが、武士の命はですよね。
ということは、刀を使えなくては武士として生きていけません。
今回の映画の主人公 三村新之承(木村拓哉)のように盲目となったりした時には、武士を辞めなければならなかったのでしょうね。
それはこの時代に生きた武士にとって死ぬよりも辛いことであったのだなと思います。
なぜなら、家族の生活、親族の社会的立場、周囲からの扱い、生活の為の収入、この全てが望ましくない方向に進むだけでなく、武士としてのプライドがそれを許さないからです。
実際に映画の中でも、三村新之承は盲目となりながら、尚も刀を探し持ち続けようとします。
その様子をスクリーンで見ているだけで、十分こういった"武士の武士たるこだわり"が伝わってきました。
そして、この武士の妻という存在も強く印象に残っています。
妻の加世(壇れい)は、夫を支えるために全てを投げ出し、決して感情的に怒ることなく夫の意思を尊重していました。
この映画の台詞にこそ出てきませんでしたが、武士が武士としてのこだわりを持っていたように、その妻も"武士の妻としてのこだわり"を持っていたのでしょうねぴかぴか(新しい)
この映画は、現代人が忘れつつある真の夫婦の姿を描き出しています。
「そんな古臭い…」と思われる方も中にはいらっしゃると思いますが、私にはそんな夫婦の関係がとても新鮮で重厚なものに見え、素敵だと思いましたわーい(嬉しい顔)グッド(上向き矢印)るんるん


posted by tom at 16:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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